砂の王国
あの夏、オレと海馬は随分と長く一緒の時間を過ごした。
オレは相棒の使わない時間をもらって、海馬は仕事の空いた時間を使って。
何故あんな事をしたのかはわからないが、オレ達は暇さえあれば身体を重ね、共に眠り、わずかばかりの会話をした。
記憶の旅から帰って来て以来、オレは宙ぶらりんの状態だったんだと思う。
本当は満ち足りているはずなのに。
何千年もの使命を果し、自分の記憶を取り戻し、今度こそちゃんと次代へ希望を繋げられた。でも、オレは乾いていた。どうしようもなく。砂漠を旅する者が水を求めるようにオレは海馬を求めた。何故奴でなければならなかったのかわからない。奴の方がどうだったのかはわからないのと同じように。
こんな事があった。
その日の午後、オレは海馬の屋敷へ行ったが奴は留守だった。
久しぶりの奴の休日なのでゆっくり一日を楽しむはずだったのに。約束を破った奴に腹を立てながら帰る途中、オレは急に海が見たくなった。焼け付く日差しの中で輝く水面、豊かな水、そんなものが無性に欲しかったんだ。
海岸に人はまばらだった。いつもなら海水浴の人達で賑わう場所なのだが、今日は台風が近づいていて波が高いという事で、遊泳禁止の札が出ていたのだ。空はどんよりと曇っていたけれど相変わらず暑く、汐の匂いがいつもより強く感じた。
「せっかく相棒からもらった時間なのにな」
知らないうちに独り言を言っていた。足元の砂を蹴る。湿気を含んだ重たい砂、オレの故郷の砂とは大違いだ。
お気に入りの黒い靴が砂に埋もれる。なんとはなしに靴で砂の上に線を描いてみた。
ここがオレの私室、ここが謁見室、後宮がここにあって石版の神殿があそこにあって、オレは、ついこの間取り戻したばかりの記憶を辿って、砂の上に王宮の見取り図を描いてみる事にした。
王であった自分はあの王宮を建設した身ではないので細部はおぼろげだったが、幼い日、まだ自由に行動する事が許されていた日々を一生懸命思い出す。
なんだ?オレは還りたいのか?
答えは出なかった。もう失われた世界だ。ただ、今オレだけがここにいる。
「遊戯!何をしている」
その時、後ろから急に海馬の声が聞こえた。
見上げると、海岸沿いの道路に見慣れた黒塗りの車が止まっていて、その脇に立つ海馬の姿が見えた。
そのまま、海馬はひとりで海岸まで降りて来た。一部の隙も無いブルーのスーツ。ここにはすげぇ違和感だな。
「何を描いてるかと思えば、何かの設計図か?」
オレが描いていた図を一瞥して海馬が言う。オレは答えなかった。
こいつには関係の無い事だ。本当の事を言ってもきっと鼻で笑うだろう。また例のオカルト話かと。実際ただのノスタルジーだ。もう少しで完成したのによ。なんでオレの邪魔をするためにだけ現れたんだよおまえは。
「配置が悪いな」
そう言うと海馬は、驚いた事にオレの描いた設計図を修正しだした。
それも、しっかり砂を固めて建物まで構築していく。
「居住区はここまで。古代の神殿っぽいイメージはいいが、もう少し機能性を高めなければ。そして肝心のバトル場をもっと大きく」
オレはただただ海馬の手先と、みるみる創られていく砂の王国を見つめていた。
不思議な事に、海馬の創りだしていく世界はオレの故郷の王宮に酷似している。なんでこんな細部まで知っているんだ?オレさえも知らなかったのに。だが、同じものでは無い。海馬の手は一瞬の迷いも無く確実に砂を固めていく。
不思議な気持ちだった。
過去のオレがよく知っていたものが現代の手で再構築されていく。
セトが再建した王宮はこんな感じだったろうか?いいや、きっと違うな。これはあくまで現代、または近い未来のものなんだろう。この時代に生きる海馬の、これから先に創るものなんだ。
オレは何も言えず、じっと海馬の手を見守り続けた。
海馬の創りだした王国が完成したのは、もう日も暮れる頃だ。
砂浜にそびえ立つミニチュアの砂の王国。すばらしい出来だった。
コイツ、こういう模型作りの才能もあったのか。
堅牢な城壁に囲まれた精密な王宮、神殿には神のカードが祭られている。その脇の格闘場にはあらゆるカードのしもべ達が石版になって並んでいる。
「デュエルの優勝者は王として王名表に、そのしもべ達は殿堂入りしてここに並ぶのだ」
海馬が、奴には珍しい楽しげな口調でそう言った。
日が落ち、誰も居なくなった海岸でオレ達は抱き合った。
古代に生きたオレと現代を生きる海馬。オレ達は相容れない存在だと思いつつも、いつも身体を繋いだ一瞬にだけ重なり合う何かを感じていた。それが何なのかずっと解らなかったんだ。だが、今日オレははっきりと感じていた。
たとえ古いものが完全に滅びた後でも、新しい手がそれを再構築してくれる時が来るに違いない。
オレと海馬が今ここでこうしているように、過去と未来がこうして繋がりあってもいいのだと。
それからどのぐらいたったのだろうか、少しうとうとしていたら、急に海馬の声に起こされた。
「満潮だ。遊戯、帰るぞ」
気がつくと海岸の大半が海水に埋まっていた。ぽつぽつと雨も降ってきている。いつのまにか黒い水が浜を覆い、海馬の創った砂の王国は半分が崩れ流されていた。
「海馬!王宮が!」
その時のオレは本当に動揺していた。過去のさまざまな事をいっぺんに思い出し、大切な物を失う事の怖さに我を忘れていた。
「海馬!無くなってしまう!王国が!」
オレはきっと泣いていたんだと思う。
胸元にしがみつくオレの身体をしっかりと抱え直した海馬の手。そして、海馬は平然と言った。
「フン、あんなモノはたかが砂の王国だ。そのうち本物を創ってやる」
こいつが好きだ。オレは闇の中でも青く輝く海馬の瞳を見つめながら思った。
あの夏、そんな事があった。
こうして思い出話をしているオレがどこにいるかって?
今、オレはイアルに居る。
父上や叔父上や神官達、マナやシモン、そしてセトも一緒だ。平穏で静かな世界。王宮は元のままだ。
「少し違う。私が再建した時に城壁は以前より高く堅牢にしたのですよ」
傍らのセトが鹿爪らしく言った。オレは可笑しくてたまらなかった。セトも海馬も、この同じ魂はいつも何か新しく建設する事が好きなようだな。
今、慣れ親しんだ王宮の中をゆっくりと歩きながらオレは思う。
この王国は砂の上の蜃気楼のようなものだ。幸福な夢そのものだが、未来に向かって変化してゆく事は無い。
そして思い出すのは、あの時海馬が創った砂の王国。
波に流されても、跡形も無く崩れさっても、いつかきっとまた創られるであろう現代の王国。
短い間でも、かりそめの姿でも、オレはあの現世に存在できた事を嬉しく思う。
あの時のオレは確かに未来に向っていきいきと変化していく命を感じていたのだから。
現世で会ったすべての人達が、今も変わらず強かに逞しく幸せでありますように。
オレはここで静かに祈り続ける。
{了}2012夏
