コイゴコロ
「瀬人、お前は何事も計算しすぎるきらいがあるな」
昔、剛三郎がオレに言った言葉だ。たぶんチェスの勝負の後だったと思う。
あの頃、奴はあの強制的な「教育」の合間によくオレにチェスの相手をさせたものだった。
当然その時勝ったのはオレだ。オレは12か13だったが、その頃には既に奴はオレの敵ではなかったので、その言葉はただの負け犬の遠吠えにしか聞こえなかった。
だが、奴はいつもの気にさわるような笑いを浮かべて続けた。
「お前はいつも計算しつくして答を出すが、本当の天才とは計算等せずに答を出せるものだと私は思う。 まるで何も無い宙からつかみ出すようにな。どうやらお前は天才では無いようだな」
その言葉を何故今でも覚えているかというと、オレはその言葉に激怒したからだ。
オレは自分の才を、能力を、一度たりとも疑った事は無かった。昔からずっと。実際、自分より優れた者に出会った事は無かったし、邪魔者(剛三郎がその最たるものだ)さえいなければ、自分の望むすべてを手に入れられる自信があったのだ。そのオレに、貴様等の手に届かないところに居るオレに、何故貴様ごときがそんな事を言えるのだ?
「残念だ。私は天才を創りだしたかったのだがな」そう言った剛三郎に、オレは初めての殺意を抱いた。
そしてその後数年がたち、総ての障害を排除したオレの前に奴が現れた。初めての敗北、そして二度目の敗北。自分が負けたという事実は信じがたかったが、同時に奴の存在自体に驚愕した。その髪の色のように燃え立つ闘志と見事なプレイング、なにより神がかったドローは運命が味方しているのではと錯覚させるほどだった。まるで何も無い宙から勝利をつかみ出すように。もし奴を見たら、剛三郎が生きていて奴を見たら言うのだろうか?
「瀬人、これが天才というものだ」と。
オレを天才では無いと言った剛三郎は、奴こそオレより優れたものとして賛美するのだろうか?許しがたい。
奴に勝ちたい奴を倒したい倒さねばならない負けて死なないためにオレが生きてゆくために答を出すために
だが同時にオレは無上の喜びを感じていた。初めて己の力の総てを解放できる相手に出会った喜びを、闘いの果てに、きっとまだ見えぬ高みが見えるに違いないという期待を、冷えきってしまっていたと思っていた自分の心が燃え立つのを、オレは今、全身全霊で感じる。
奴と闘いたい奴に勝ちたい奴を倒したい総てはこの先の道に進むために
狂おしいまでに奴の存在を求めるこの感情、そのためにはオレは何を犠牲にしてもいい。この感情を名付ける言葉はおそらく普通の辞書には無い。
奴との闘いを願い、奴を請い、奴を乞う心、コイゴコロ。
(了)20120723バトルシティ前くらいの海馬くんのイメージで
